新年始めのブログに出すのはどうなんだろうとも思うが書かずにいられない。進めない。。
去年一年は本当にキツい一年だった、神様から精神力を試されてるかの如く次々と私の大事な人が病気になった。そういう時は本当になんの力にもなれず無力感に凹んでしまい病気と戦っている本人に気を使わせてしまいまたしても凹んだりする。私は思いの外顔に出るらしい。
スペイン行く前に旅費を稼ぐため十代終わりくらいに地元にある洒落たビストロでバイトした。そこは皆が家族みたいに付き合いをする店でいろんなバイトの人が沢山いたが、いまだに親密な付き合いがある。うちの相方ともそこで知り合った、当時はお互い別の相手がいたのだが、、親友と呼べる男友達もできた。前にブログった鹿児島のヤツともそこで知り合い青春真っ盛りで語り合ったり喧嘩したりしてた。
そこでゆうくんにも会った。剣道の剣士で裏表がなく、誰にもへつらわずいつも同じ顔で『ひゃっひゃっひゃっ』と笑ってた。
彼が闘病してると知ったのは去年11月終わりだった、12月頭には母親の緊急手術もあり、バタバタしていたし、ゆうくんの病気を受け止められずなかなかお見舞いにいけなかった。ゆうくんは6月から入院してらしいたが、キツい姿を見せたくないと、自分の子供まで病室にこさせなかったらしい。。やっと会いに行けたら思ったより調子良さそうで、余命宣告されてる人には全く見えなかった、、絶対大丈夫、復活すると信じてた。。1月6日緊急連絡がきて駆けつけた時にはもう意識は無かったがまた絶対復活すると信じてうちの相方と一緒に病室にいりびたっていた。。7日にも面会時間最後までいて、帰り道にまた危篤になりすぐに病室もどったら心拍数も安定し皆で『寂しくて呼び戻しやがった!』と話した。次の日うちで新年会予定だったがやはり心配で昼過ぎから病室にいた。可愛い子供二人に夕御飯食べさせようと相方と私と子供二人で回転寿司にいき食べ終わるくらいに電話がかかってきてすぐに戻れと。。戻って五分、皆で体をさすり、手を握り、ゆうくんは逝ってしまっ
た、最後まで一緒にいさせてくれて、戦った姿をみせてくれた。。
火葬場が一杯で式まで一週間かかった、私は情けないと思いつつとにかく力がはいらなく引きこもりになりクラスはだいきょうさんを頼んでしまった。フラメンコの曲、何を聞いても涙しかでないとわかっていたし、生徒もいたたまれないだろうと思いワガママを通させてもらった。。おとといの日曜日にきちんと送りだせ、とにかくゆうくんは星になるべく一足先に旅立ったと自分にいいきかせているが、いまだに悔しさや無念さでどうしていいのかわからない。わからないけどとにかく私は動かなきゃいけないんだな、動いて生きて働いて笑って人生送らなきゃいけない。
でもただただ凄く淋しい。。
良い人間になるよう努力する。きちんと気持ちを乗せて踊れる踊り手になり、色々な事を伝えられるように頑張る、なんの役にも立たない私がかろうじて、もしかして、出来るかもしれない事はそれだけしかない。
今日スタジオ入った時に待っていてくれた生徒の笑顔が胸に響いた。
ちゃんと生きていかなきゃならない。
誰にも恥ずかしくないように、いつか自分が消えるときに後悔しないように。。廣瀬祐一くん、ありがとう、大好きだったし、これからもずっと大好きだよ。。